国内・海外留学

教授の推薦を得て留学することが可能です。
これまでも多くの医局員が国内・海外留学し、研鑽を積んできました。

近年の国内留学先

  • 国立病院機構相模原病院(神奈川・リウマチ): [齊藤洋幸 2020 -2021]
  • 済生会横浜市東部病院(神奈川・脊椎): [山村亮 2020]
  • 新潟手の外科研究所病院(新潟・手の外科): [黒田拓馬 2019 -2020]
  • 和歌山県立医科大学(和歌山・脊椎): [丸山博史 2019]
  • 神奈川県立こども医療センター(神奈川・小児骨・関節):[津澤佳代(女性医師) 2019]
  • 新潟手の外科研究所病院(新潟・手の外科): [筒井完明 2018 -2019]
  • 熊本機能病院(熊本・手の外科): [新妻学 2018 -2019]
  • 三楽病院 (東京・脊椎): [石川紘司 2017 -2018]
  • 和歌山県立医科大学(和歌山・脊椎): [工藤理史 2016]

近年の海外留学先

  • Mayo Clinic, Minnesota, USA[新妻学 2023-現在]
  • University of Pittsburgh School of Medicine, Pennsylvania, USA [上條翔太郎 2023-現在]
  • Hospital for Special Surgery, New York, USA[土谷弘樹 2023-現在]
  • Hospital for Special Surgery, New York, USA[谷聡ニ 2022-2023]
  • Duke University, North Carolina, USA [石川紘司 2021-現在]
  • Mayo Clinic, Minnesota, USA[西川洋生 2021-2023]
  • Hospital for Special Surgery, New York, USA[百々悠介 2021-2022]
  • Hospital for Special Surgery, New York, USA[岡野市郎 2020-2021 clinical fellow]
  • Karolinska Institute, Stockholm[諸星明湖(女性医師)2019-2021]
  • Center for Spine and Orthopedics, Colorado, USA [石川紘司 2019]
  • Hospital for Special Surgery, New York, USA [岡野市郎 2018-2020 research fellow]
  • Mayo Clinic, Minnesota, USA [豊島洋一 2017-2019]
  • Kantonsspital St. Gallen, Switzerland/ St. Elisabeth Hospital, Denmark/ Mayo clinic, USA [久保和俊 2017-2019]
  • Hospital for Special Surgery, New York, USA [白旗敏之 2017-2018]
  • Kantonsspital St. Gallen, Switzerland/ St. Elisabeth Hospital, Denmark/ Lorenz Bohler Hospital, Austria [川崎恵吉 2012-2013]
  • University of Pittsburgh School of Medicine, Pennsylvania, USA [藤巻良昌 2011-2013]

海外留学報告記

谷聡二(2013年卒)

Hospital for Special Surgery, New York, USA[2022-2023]

2022年9月から2023年8月までニューヨークにあります、Hospital for Special Surgery (HSS)に臨床研究留学に行かせていただきましたのでご報告させていただきます。
HSSは数年にわたり当医局から留学している全米No1の整形外科病院です。今までの報告でHSSの紹介は十分されていると思いますので病院の詳細につきましてはそちらをご覧いただけましたら幸いです。
急速に円安が進み、あれよあれよと1ドル=150円に届きそうなときにひとり日本を出発し、資本主義の本場へと降り立ちました。マンハッタンの街は素晴らしく、東京の高層ビルも負けてはいませんが、超高層ビルの圧倒的な密度と高さを見せつけられ、摩天楼とはまさにこの町の為にある言葉なのだということを思い知らされました。そして、コーヒーすら頼めない自分の英語力の無さを痛感し、圧倒的絶望感の中で留学がスタートしました。

マンハッタン

私は、脊椎チームの臨床研究を行っているチームに所属させていただきました。研究チームはバックグラウンドの異なる多国籍メンバーから構成されています。アメリカで医師として働くきっかけを作るために研究している人、自分の国で次のステップに進むためにとにかく論文を書きに来た人、将来の整形外科医として働くために業績を作りたい学生等それぞれ様々な目的を持った人が一緒に研究を行っていました。
研究においては圧倒的な規模・症例数、研究費の違いを見せつけられました。規模および資金面に関しては、どう考えても追いつけないと思わせるほどの差があり、研究にお金を使える国の強さを思い知ることになりました。また、企業からのお金も大きく、国が違えばすべてが違うということを知ることとなりました。基礎研究に関しては、全く触れる機会がなく詳細はわかりませんが、やはり大きな違いがあることでしょう。

チームのメンバー

前任者が引き継いでくれた研究から開始させていただき、アメリカで多くなっている外来脊椎手術についての研究をさせていただきました。研究では先程述べた様に、圧倒的な症例数の多さがありました。多施設研究ではないにも関わらずm、症例数が多いためにまるで多施設研究でもしているかのような症例数でありました。症例数の面に関しては、日本の症例では圧倒的にかなわないことがよくわかりました。その後は、日本で行っていた解析手法を使い、骨強度と脊椎疾患についての解析を行いました。今までに解析していない母集団での解析を行うことで、自己満足ではありますが新たな知見が得られたように思います。様々な人のサポートを受けながら、なんとか論文も形にすることができて大変感謝しております。

NYCマラソンのボランティア

振り返れば、これまで海外旅行にも特にいかず、ハワイ以外で初めてアメリカに入国したのが今回の留学でした。聞いてはいたものの、国が違えば考え方やもののとらえ方が大きく違い、様々な見方があるということがよく理解できました。整形外科医としてのみならず、人として大きく成長できた一年だと思います。研究・論文に関しても同様で、世界共通と思っていた内容においても母集団の違いや医療制度が大きく影響している事が肌感覚としてわかったことは大きな収穫だと思います。同時に、自分達のデータを発信していくことが大切だということを再確認することができました。まだ、明確な答えは見つけておりませんが、今後も研究に励み、アジアの島国から世界と戦えるような研究を考えていきたいと思っております!

最後に、留学中のサポートをいただきました昭和大学の皆様、留学という選択肢をいただき留学中も気をかけてくださった整形外科学講座の皆様、NYで支えてくれた皆様、そして一人での留学を許し支えてくれた家族に感謝申し上げます。

百々悠介(2014年卒)

Hospital for Special Surgery, New York, USA[2021-2022]

私は2021年9月より1年間、米国・ニューヨーク州マンハッタンにあるHospital for Special Surgery (HSS)に留学する機会を頂きました。昭大整形とHSSの関係は豊根教授とGirardi先生から始まり、2017年に白旗先生がHSSに留学されたことをきっかけに岡野先生、星野先生に続いて4代目のSpine Research Fellowとして勤務させて頂くこととなりました。HSSは整形外科・関節リウマチ専門病院として全米でも非常に高い評価を受けている施設で全世界から患者が来院し、年間約32,000件の手術(脊椎手術は約5000件)が行われています。今回、そのHSSの膨大な臨床データを用いてSpine Care Instituteの国際色豊かなチームメンバー(HSSスタッフ、ドイツ人、ベネズエラ人、コーネル大医学生)と供に臨床研究を行いました。

研究について

HSSには病院の顔となる20人ほどの脊椎外科医が在籍していますが、私はその中の一人であるSama先生の専属Research fellowとして採用してもらうことができました。

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手術後、Dr.SamaのオフィスでDr.Samaと供に。

また同じ脊椎グループのDr.Hughesの研究メンバーにも加えて頂きNY州のビックデータを扱うプロジェクトにも参加をすることができました。一人1ブース、デスクとデュアルモニター付きのパソコンが用意され、論文を書くのに十分な研究環境が与えられ、週2回のカンファレンスで進捗状況をプレゼンし、研究デザインやアイデアなどを議論して研究を進めていくシステムで臨床データやPubmedと向き合う日々でした。日本とNYの14時間の時差がある中で前任の岡野先生にも研究の相談や統計解析を指導いただけたことが研究を大いに促進させてくれました。

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切磋琢磨し、日夜をともに過ごしたドイツ・Chartie大学から留学にきた整形外科医とともに。HSS病院前にて。

NYの冬は長くて寒く、またコロナ禍であったこともあり、研究室に篭る日々でした。しかしその分、研究室の仲間と供との友情関係が深まり、お互い鼓舞し合いながら朝から晩まで論文作成に没頭する時間を過ごせた事はよかったと思っています。留学翌年5月頃から成果が出始め、チーム内で査読しあった学会抄録・論文の成果が出始めました。国際学会にも演題を通すことができ、6月にはISASS(バハマ)、10月にはNASS(シカゴ)とEUROSPINE(ミラノ)、2023年にはAAOS(ラスベガス)で発表をする機会を得ることができ嬉しく思っています。論文に関しても当初渡米した時に立てた目標よりも多くのプロジェクトを遂行でき、4本の論文を筆頭著者で投稿まで持っていくことができています。昭大整形から次期留学者へバトンをつなぐことができたこと、またHSSからもアメリカ人の脊椎外科医のDr.Zelenty先生が昭和大学病院に6週間研修し、昭大整形とHSSの連携を強化できたことからも当初の目的以上の成果を果たせたのではないかと思っています。

ISASS22学会発表、2022年6月、バハマにて。
2022年メンバーのFarewell partyと
新2023年メンバーの歓迎会。2023年度留学の
谷先生(写真右から二番目)と共に。

1年という短い期間でしたが、今回の研究生活を有意義なものできた一つの要因としては過去に米国医師国家試験の勉強をして医学用語や米国式のシステムに慣れていた事が大きかったように思います。臨床研究に必要なカルテ情報の抽出や、カンファレンスで使用される医療英語での議論にも不自由なくついてくことができました。逆に、事前に準備をしていなければ全く異なった1年になってしまっていたのではないかと思います。今後、英語圏での医学留学をしている方には、留学を有意義なものにするためにも計画的に日常・医学英語を勉強しておくことが私からのご助言です。

NYでの生活について

NYの魅力は50メートル歩くごとに異なる言語が飛び交い、目的を持った人々が世界中から集まり、業種を問わずエネルギッシュな人達との出会いがあることにあると思います。医学部入学後から医療系の方と接する時間がほとんどでしたが、NYでは他業種の人との触れ合いも多く、領事館や国連のスタッフ、駐在員、芸術家の方々と考えを共有でき、その仲間達と供に4大スポーツ観戦やミュージカルなど、エンターテイメントを共有することを通して文化的にも世界観が広げることができたのはNYだったからこそと思います。

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留学中、異業種の方々とのMLB観戦。日本のスポーツニュースに映るのも良い思い出。

また、現地のコミュニティに入ることで得た友人関係も貴重な経験であったと思います。私はアイスホッケーの社会人マンハッタンリーグに所属し、1〜2週間に1回、現地の人とスポーツをしていました。夏の休日は趣味の釣りに出かけ、アメリカ東海岸に集中する名門大学(アイビーリーグ)のキャンパスを巡る旅などをして気持ちをリフレッシュさせていました。

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社会人アイスホッケー・マンハッタンリーグに参戦。
プレーオフに出場。(2列目、右より2番目)
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東海岸ボストン・ケープコッドで趣味のマグロ釣り。
94インチ(想定260kg)で自己記録更新。

楽しそうに聞こえるNY生活ですが、旅行で行く楽しさだけのNYとは異なり生活そのものは決して楽ではなく、ストレスが多い日々だったのも事実です。毎日のニュースで30年ぶりの記録的な円安が騒がれていますが、日本とNYとの物価の違いは留学生活のQOLにかなり影響してきます。家賃・食費などの生活費は日本の2-3倍で、内容やサービスも日本の方がいいなと思ったことは多々ありました。留学が終わる頃には、その生活の苦労すらも楽しめるようになっていましたが、それはNYでしか出会うことができなかった人達との濃密な時間・思い出やそこで築き上げることができた友情関係が何にも変え難い財産となったからであろうと思います。

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アメリカ自然史博物館で行われたHSS Tribute Dinner Party。Sama先生と共に。
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Dr.Hughes宅にて研究グループのメンバーとのクリスマスパーティー。
留学での学び

医学的な学びについて、一つ頚椎疾患について例をとってみると、日本では椎弓形成術が多い一方で、HSSでは日本では稀なCervical Disc Replacement (CDR)などの人工椎間板手術の割合が多いことに気が付きます。これは日本人は脊柱管の発育性狭窄による脊髄症が多い一方で、米国では神経根症を生じる症例が多いからであり、各国がそれぞれの病態に合わせて理にかなった手術方法を発展させていることが身をもって体感でき、医学の理解が深まります。その他にも色々な学びがありますが、私にとって留学の一番の魅力は様々な観点で母国のことを客観的に見ることができたことでした。渡米前は当たり前であった日本の姿に帰国直後は日々の気付きがあり、日本の良さが客観的見えてきます。おそらく日本は世界的でトップクラスに親切、美食、清潔で、そのわりに物価が安く、日本語が話せればとてつもなく住みやすい国なのだと思います。いつまでも平和な日本であり続けてほしいという想いがある一方で、NYとの経済格差を目の当たりにして危機感を感じたのも事実です。日本国内にいるとそれなりに幸せで気付きにくいことですが、日本人は皆で平等に貧困になっているように見えてしまいます。このままでは先進国ではなくなる日もそう遠くはなく、海外旅行や海外留学がますます遠のいてしまうのではないでしょうか。戦後、高度経済成長期に入ってから60年かけて人口を1億人から1億2000万人に増やし、その名残で成長し続けているように見えた日本とは異なり、これからは多元的要素で衰退することが予想されております。以前より懸念されてきた少子高齢化時代にいよいよ突入し、今後20年で人口は2000万人減に加えてその約40%が65歳以上の高齢者と予想されています。整形外科医としては高齢者の骨折・変性疾患が増加し、一層必要とされる専門家医になることが予想されます。一人の臨床医として目の前の患者さんに最善の医療を尽くすだけでなく、一人の社会人としての自覚も持ち、有効な医療資源に関する観点も合わせ持つべきなのだと思います。無限にはなく、いつかは崩壊するかもしれない国民皆保険制度について危機感を持ち、医療費の負担となる入院期間や手術適応、さらには使用するインプラントの種類(国産なのか外国産なのか)などについても正しい知識とこだわりを持って医療にあたるべきなのだと思います。いつまでも母国が良き国であり続けれるよう、刻々と変わり続ける世界情勢を正しく理解しながら母国を客観的に判断し、日本の未来のためにどんな努力ができるかを考える1人の日本人であり続けたいと思います。

今後の抱負

卒後8年目で様々な経験・キャリアを積ませていただいている昭和大学には心より感謝しています。私自身、まだまだ学びの身ではありますが、これまで習得してきた技術や経験など、有益と思われるものは積極的に昭和大学を始めとした多くの方々に還元していきたいと思います。その一つに客観的に日本の姿を見ることができる医師の数を増やすことだと思っています。私ができることであれば科を問わず、医局を問わず、どんな方にでも経験談をシェアしたいと思っていますのでご連絡をいただければと思います。最後になりますが今回、このような貴重な機会を与えてくださった昭和大学、整形外科学講座の皆様、稲垣教授、豊根教授、そして岡野先生に感謝の意を述べさせていただき、私の留学報告とさせて頂きます。どうもありがとうございました。

諸星明湖(女性医師)(2014年卒)

Karolinska Institute, Stockholm[2019-2021]

2019年10月より2021年8月までの約2年間、スウェーデンのストックホルムにあるカロンリンスカ研究所に留学させていただく機会を頂いたためご報告致します。 カロリンスカ研究所はスウェーデンで3番目に古い医科大学で、ノーベル生理学・医学賞の受賞者を選考する機関として有名です。 主人のカロリンスカへの留学について行くという形で決まったスウェーデン行きでしたが、多くの先生方のお力添えのおかげで私自身も整形外科のLi教授のもと疫学研究に携わらせていただけることなりました。

スウェーデンでは、医療情報データベースを利用した研究が盛んです。その背景として、国民一人一人にpersonal identity numberという個人番号を付与し個人情報と紐づけている制度の存在があります。日本のマイナンバー制度と酷似していますが、住所・家族構成や銀行口座といった個人情報だけではなく、様々な医療情報も登録されており、個人番号がスウェーデンの医療機関における共通の患者番号の様に使用されています。紐づけられた医療情報からは、個人番号が分かれば、いつどこの医療機関で何という診断が下されたか、そして、何の薬がどの薬局で処方されたかを辿ることができます。また、転居等により受診する医療機関が変わった場合においても、個人番号から追跡することで、その後の転帰を把握することも可能です。その結果、personal identity number制度を利用したスウェーデンの医療情報データベース研究は、スウェーデン全土を対象としている研究も多く、選択バイアスや追跡不能例が少ないことが特徴となっています。私はスウェーデン全土の骨折患者のレジストリを使って橈骨遠位端骨折の骨折発生率の経時的変化を解析しました。また、発生原因・季節・personal identity numberに紐づけされた患者の年収・最終学歴の違いによる骨折発生率の変化の解析を行いました。

整形外科Li教授と教授室での1枚
カロリンスカ研究所のシンボルであるオーラメディカ

私生活では北欧の豊かな自然のなか、家族でゆっくり過ごすことができたことが1番の収穫でした。特に子供を授かり、スウェーデンで妊娠、出産、短い期間ではありますが子育てを経験できたことは非常に貴重な体験でした。約10ヶ月の準備期間があっても、出産時の入院はとても不安でした。外傷で緊急入院となる患者さんは、事前準備も心の準備も何もできないまま、突然入院になるなんて、どれだけ不安や不便が多いことか、ましてや日本語を母国語としない患者さんにとっての不安はどれだけ大きいものか、自分が経験してみて初めて具体的に想像できるようになりました。 今は離れていてもオンラインで世界中の人とつながり、日本にいながら諸外国の先生と共同研究ができる時代ですが、実際に現地を訪れ現地で生活するからこそ、見えたもの、感じられたことが沢山ありました。

スウェーデンの自宅前の朝焼け
研究所の正門前で、
主人とスウェーデンで生まれた我が子と一緒に

最後になりますが、稲垣教授、川崎教授をはじめ、スウェーデン行きを迷っていた私の背中をそっと押してくださった先生方、留学期間中にも何かと連絡をくださり、帰国時には暖かく迎えてくださった医局の先生方に心から感謝申し上げます。

石川紘司(2010年卒)

Center for Spine and Orthopedics, Colorado, USA [2019]

2019年10月より、整形外科の国際的な財団であるAO SpineのInternational Fellowとして、アメリカ、コロラド州デンバーのCenter for Spine and Orthopaediscで約3ヵ月間の臨床研修をさせて頂く機会をいただきましたので、報告いたします。

この施設は、AO SpineのEx-Chairmanである、Dr. Michael Janssenが創設した施設であり、世界中からInternational Fellowが訪れます。Physicianは3つの関連施設で手術を行っており、非常に多くの症例を経験することができました。また、全ての施設でScrab in (通常アメリカでは手洗い出来ませんが、本研修では可能でした) 可能であったため、症例によってはFellowと2人で手術を行う機会もありました。本研修を通し、本当に多くの手術手技を学ぶことができたと思っております。

また、研修中はFellowと過ごす時間も多く、保険制度の異なるアメリカで、外来から手術計画、入院~退院までの流れ、臨床研究へのエントリー、救急対応から上級医との関係性など、一連の臨床を学ばせていただいくことができました。同じ専門分野でも考え方やシステムが大きく異なることも多く、大変勉強になりました。Fellowや研修している医学生もとても優秀・積極的で、Journal Clubやカンファレンスでも、活発な議論が行われていたのが印象的です。

さらに幸運にも 、Las Vegasで行われた国際低侵襲脊椎学会や Chacagoでの脊椎細胞治療研究会にも参加させていただき、多くの先生方と交流することができました [ChicagoではRush大学(井上Labo)に留学中の佐藤敦先生のLaboを見学させていただきました]。

プライベートでは、 Dr. Janssenの自宅にお誘いいただいた他、ミズーリ州の別荘や、彼の経営するWyoming州の温泉施設にも招待していただきました。また、もう一人のFucultyであるDr. Morrealeも家族ぐるみの交流をしていただき、自宅での感謝祭パーティーに招待していただいた際には七面鳥をご馳走になりました。家族でアメリカ文化を経験することができたのはとても良い思い出です。

帰国してしばらく経過しましたが、本来なら経験できないようなアメリカでの研修生活を送ることができたことは今後の財産になると感じております。素晴らしい機会を与えてくださった、AO Spine財団の関係者の方々には心より感謝いたします。また、若手の先生方にはAO SpineでのFellowshipを強くお勧めいたします(Denverでの研修について聞きたい先生がおられましたら、他大学でも是非、医局までご連絡ください)。

最後になりますが、忙しい臨床の日々の中、快く送り出していただいた稲垣克記 教授、Fellowshipへの応募を勧めてくださった豊根知明 教授、不在の間にご迷惑をおかけした昭和大学整形外科の医局員の皆様、様々な手続きを行っていただいた秘書さん、慣れないアメリカに帯同してくれた家族に心より感謝し、報告を終えたいと思います。

2019年度 Fellowship 訪問レポート

豊島洋一(2001年卒)

Mayo clinic[2017-2019]
Department of Orthopedic Surgery/Tendon & Soft Tissue Biology Lab(Professor. Zhao)

2017年9月から2019年9月にかけて2年間の海外留学をしてきました。
留学先は、医局からこれまでに多く留学している、アメリカ合衆国ミネソタ州にありますMayo clinicの Department of Orthopedic Surgery/Tendon & Soft Tissue Biology Lab(Professor. Zhao)でした。Mayo clinicは、医療関係者の方ならば知らない人はいない全米病院ランキングNo.1の病院です。
アメリカの栄えている場所といいますと東海岸や西海岸をイメージしますが、mayo clinicのあるMinnesota州Rochesterはアメリカの中西部(真ん中あたり)の北(五大湖の一番左端あたり)にあります。一番近い大都市はシカゴで、2019年には、摂氏-32度を記録したとてもとても寒い地域です。病院がある街の人口は11.6万人、住人の4人に一人が病院関係者です。そのため経済的に安定している人が多いためか、街は美しく安全で、居住地域で危険を感じることはありませんでした。

研究留学では、多くのことを学びました。私の研究は触診で感じる圧を超音波の新しい技術を使って、数値化することでした。実際には手根管圧やコンパートメント圧を評価しました。
この研究室は、以前はCadaverを使用したバイオメカニクス研究のメッカでしたが、研究資金獲得の困難さから、今はMolecular biology(分子生物学)に研究の主をシフトしています。

アメリカの寛大な心と美しい国土を感じることができたことは、私の今後の人生にとって大きな財産となりました。また、あわただしく過ぎる日常診療を離れ、一つのことに没頭する研究生活を送り深く深く思考を掘り下げることができたことは、今後の診療に幅を持つことができると感じます。
日本では多忙な毎日を送っており、家庭でゆっくり過ごす時間が少なかったため、留学中に家族と共に多くの体験を共有できたことは非常に有益でした。人生の豊かさを学ぶことができました。

久保和俊(2003年卒)

平成15年入局の久保和俊です。平成27年10月よりスイス、オーストリアと半年間の臨床留学を経た後、平成28年4月よりアメリカはミネソタ州にあるMayo Clinicに留学させていただきましたので報告いたします。

白旗敏之(1998年卒)

Hospital for Special Surgery(HSS)[2017-2018]

2017年4月から2018年3月まで、アメリカ合衆国、ニューヨーク州にあるHospital for Special Surgery(HSS)へ留学する機会をいただきました。本病院はニューヨークのマンハッタンの中央で、East sideに位置し、建物(本館)はEast river沿いに建てられております。西に向かえば徒歩20分ほどでCentral Parkがあります。隣接するWeill Cornel大学とその附属病院(写真向かって左の建物)の関連施設にもなっています。整形外科(腫瘍以外)と関節リウマチを専門とする病院であり、手術の多くを占めるのは人工関節手術です。全世界から患者が来院し、全体で年間30000件以上(内、脊椎は4000件以上)もの手術が行われている病院です。本病院には脊椎外科attending Dr.が16名在籍しており(あのFrank Schwab先生も在籍)、HSS内に各医師がprivate clinicを持ちHSSで手術を行っています。

East riverに浮くRoosevelt Islandから撮影

今回、豊根知明教授より同病院のFederico Girardi先生をご紹介いただき、先生のresearch fellowとして受け入れてもらいました。今回の留学は、側方侵入腰椎椎体間固定術と成人脊柱変形に対する矯正手術をメインとし、脊椎手術の勉強と習得を目的としました。

手術見学

自分は、Girardi先生とAndrew Sama先生(2016年10月に昭和大を訪問)の手術にはScrub in(手洗い)が許可され手術に入らせてもらいました。手術は基本水曜日以外月曜日から金曜日まで、朝から夜まで行われております。手術は、単純なヘルニア摘出術や椎弓切除術から広範囲な脊柱固定、骨切り術、LIFの前後同時手術と多岐にわたります。先生からは患者へのdirect touchはできないと言われていました。初めは日本で言う医学部学生の手術見学と同じ状態であり、手洗いするも手は全く動かさずただじっとみているだけでした。その後、いつのまにか筋鉤引きしたり、吸引を手伝ったり、展開や閉創の手伝いなども暗黙の了解で行えるようになりました。
LIF手術では、1皮切での直視下アプローチで行っていることに衝撃を受けました。日本では2013年から導入され、まだ原法通り2皮切手術が主流であったためです。しかし、その手技はどんな症例でも同じ手技で安定しており、しかも直視下に展開しているため安全に行えておりました。現在自分は、教わったこの方法でLIFを行っています。
インストゥルメンテーション手術では、流石!!と言うほど手技が洗練されており、透視下にスクリューを挿入する事など一切ありません。勿論、C2pedicle screwやIliac screwも、びっくりしました。Rodのベンディングやカンチレバーテクニックなど、全く迷いなく手術が行われており、大変勉強になりました。

器械台です。麻酔科との間には
透明なシートをかけ仕切っています。
手洗い場です。
日本の方が使いやすい
執刀前
開始後助手の立ち位置交代
術後の最終XPチェック、
放射線シールドの後方に皆で退避
Physcian Assistant と
最後閉創しています。
リサーチ

仕事開始して、3ヶ月してからリサーチの仕事を与えもらえ、Girardi先生のリサーチチームに所属が許可されました。過去10年間に施行した約1600例のLIF患者を対象とするリサーチプロジェクトに参加しました。電子カルテシステムと画像システムを駆使して、X線データから術前後の神経学的所見を拾い上げデータベース作成をしました。そのデータをもとに、LIFの安全性を検討する研究を行いました。また、そのデータベースからいくつか枝分かれさせて、数件の研究がその後留学に来たresearch fellowの研究として行われました。自分はそのデータを持ち帰ることが許可され、帰国後国内・外の学会で発表を行い、論文の投稿まで行いました。留学するまでは、リサーチとはかけ離れた生活を送っていたため、大変勉強になりました。実は後から知ったのですが、初めの半年間はHSSの正式なfellowではなく、あくまでもGirardi先生のclinicに所属するfellowであり、データベース作成への貢献など含め、先生やチームリーダーが推薦状を書いてくれたおかげで10月から正式な病院のfellowになっていたようです。

今回の留学では、多くの事を得て帰ってくることができたと思っております。そして何よりも、人の大切さやありがたさを本当に身にしみて痛感してきました。異国の地から見ず知らずの、しかも英語の全くできない自分を、自分の家族の様に迎え入れ、そして仲間に入れてくれたGirardi先生やHSSのスタッフには感謝の気持ちしかありません。一つのチームとしてそれぞれの役割をプロ意識をしっかり持って仕事をしている姿をみて、またその中で仕事をして、今までの自分に何がかけていたかがよくわかりました。なかなか文章にして伝えることが難しくできませんが、医師としての前に人として何が重要なのかを知ることができた感じがします。大変貴重な経験をさせてもらえた1年間の留学でした。今後も世界のHSSと昭和大学の関係が末永く続いて行くよう祈るとともに、自分も努力していきたいと思っております。

G先生主催のJapanese styleのカラオケBoxでのFarewell

川崎恵吉(1991年卒)

Kantonsspital St. Gallen, Switzerland/ St. Elisabeth Hospital, Denmark/ Lorenz Bohler Hospital, Austria [2012-2013]

私は、IBRA財団の支援もあり、一年間のヨーロッパ留学に行ってまいりました。
平成24年4月20日、沖縄で行われた日本手外科学会から帰国した翌日に、スイスのチューリッヒに向かいました。ドイツ語は学生時代に少し習っただけ、英語も留学前のたった3週間のニュージーランド留学しかしていない私にとっては、不安だらけでヨーロッパの地に足を踏み入れました。さらになんと、家に大事な大事なノートパソコンを忘れてくるという、致命的な失態まで起こしてしまいした(これは家族が突然の訪問で、助かりました)。
まず最初、スイスのサンクトガレンにある州立サンクトガレン病院のGruenert教授の下で研修を始めました。小さな町です(スイスで確か5番目)が、病院は全科で1000床ある総合病院で、ヘリポートも有していました。教授は、手外科・形成外科・再建外科のトップであり、手関節以遠の外傷の全ての他、小児の手奇形、神経手術、各種皮弁や腫瘍切除、美容外科の手術まで行っていました。准教授クラスの先生が二人(形成出身と整形出身各一人)、中間層と若手医師、研修中の先生の計8人が一緒に治療を行っていました。毎朝7時半から症例検討会から始まりますが、8時の手術や外来に始まる前に必ず全員で、喫茶室でコーヒーや紅茶を飲みながら歓談します。その他午前10時、午後3時にもお茶の時間があり、ヨーロッパ人は時間に余裕を持って生活していました。毎朝教授は、更に早く出勤し、新しい文献全てに目を通し、時に画像を取り込んで、ものすごい量のデータを蓄積していました。そして、全員にその文献を送ってきてくれました。手術は毎日朝から2列組まれ、乳癌術後再建や下腿の皮弁、橈骨や手指の骨折、母指CM関節症、デュプイトレンなど、様々な手術を見学させてもらい、手洗いもしました。時間のある時には、実験室でマイクロの練習をしたり、英語論文の作成をしていました。バーセルにあるMedartis社工場にも通い、冬に始まる力学的実験の準備も始めていました。

Prof. Gruenertと病院Cafeで
Prof.KrimmerとClinicで

10月には、そこからボーデン湖を挟んでドイツ側のラーベンスブルグ、というもっと小さな町にある、St.Elisabeth病院に移りました。ここのハンドのトップであるKrimmer教授は、舟状骨や橈骨の外傷ではKrimmer評価法があったり、手関節鏡を古くからやられている、御高名な先生でした。少し大きな病院の横に外来棟があり、普段はその中でプライベートクリニックを開設し、外来と2個の小手術室で数多くの日帰り手術(ばね指、手根管、母指CM関節症、デュプイトレン)をこなし、週2-3日は大病院の方の手術室で全身麻酔手術を行っています。ここでは、教授以下の5人の医師が外傷外科(ドイツ語圏では、整形外科とは別に外傷外科がある)や一般外科で数年間働いてから、手外科医になる予定で3年間の修行に来ていました。手外科の経験年数は浅いものの、ほとんどの手術を一人でこなさなければならず(CM関節症やデュプイトレン、外反母趾など)、すぐに実力がつくようです。夜も一人で緊急手術をこなさなければならず、再接着が来た時は一緒に入って、お手伝いしました(実力は・・・)。ここでは手関節鏡の勉強を主にしながら、私の日本での発表を英語に変えて発表する機会を何回も企画して頂き、英語のスライド作りにも励みました。
12月からは、オーストリアのウィーンにある、外傷で有名はLorenz-Boehler病院での研修になりました。あのベーラー角やベーラーギプスで有名でしょう。ここは外傷外科の専門病院(日本でいう労災病院のような感じ)で、手外科もほとんどが外傷でした。外傷外科医が40名近くもおり(整形外科医ではない)、ハンドのtwo topである、Leixnering(ライクスナーリングと読む)先生とPezzei先生について回りました。行ってすぐに、Wien hand and wrist courseと言うcadaverセミナーが病院内で開催され、一緒に参加させて頂きました。3月には1週間も続くセミナーがあり、再度参加させて頂きました。ここは、やはり外傷数が半端でなく、Wienの全ての事故が運ばれてくるような感じで、橈骨遠位端や舟状骨骨折の量はとてつもなく、データ取りに明け暮れました。ドイツ語のカルテがほとんど読めないものですから、レントゲン等の画像を中心に、舟状骨偽関節100例の形態計測を行ったほか、橈骨遠位端骨折に対する掌側プレート術後の掌側亜脱臼症例の検討を行いました。ここで面白かったのは、舟状骨偽関節例に、掌側ロッキングプレート(Medartis社)を使用したり、2本のHerbert type screwを挿入したり、日本では尿管結石等で使われる超音波破砕機を偽関節例に使用して骨癒合の促進や改善を見ました。
翌年2月から、スイスのバーゼルに移動し、Medartis社の工場で、会社の実験チームや開発チームと一緒に、力学的試験(肘頭骨折に対するAPTUS ダブルプレートと他のMLP、橈骨遠位端骨折に対するMLP対PLPの掌側ロッキングプレートの比較)を行い、それと並行して新しいrim plate(薄くて、Polyaxialで、アナトミカルで)の開発を行っていました。肘頭骨折では、有意差を認める結果が得られ、来年の発表を計画しています。
各病院のトップでいらっしゃる教授や先生方は、本当に優しく私に接してくれて、それぞれのご自宅まで訪問させて頂きました。その下の先生方やパラメディカルなスタッフ、Medartis社のスタッフの方々も、本当に仲良くしてくれて、毎回移動の度に、お別れするのが辛いくらい、本当に感謝感謝でした。土日や祭日には、スイスの山々、観光旅行の他、オペラ座等での文化交流なども体験してきました。言葉の壁は大きかったのですが、得るものが多く、人間として大きくなった一年でした。

Lorenz Boehlerの手外科team
スイスのルチェルン湖にて
BaselのMedartis staffとお別れ会

稲垣教授、中村教授を含め、医局長そして医局の先生方の支えと協力により、無事に戻ってくることが出来、本当に感謝しております。これからもよろしくお願いいたします。

藤巻良昌(1996年卒)

University of Pittsburgh Medical Center / Sports Medicine [2011-2013]

2011年4月より、米国ペンシルバニア州ピッツバーグにあります、University of Pittsburgh Medical Center (UPMC) のDr.Freddie H Fuの元に留学させて頂ました。このような貴重な留学の機会を与えて下さいました、昭和大学および整形外科医局の皆様、稲垣教授に深く感謝申し上げます。同門会誌にてUPMCに留学が決まった経緯、ピッツバーグの街と研究室の様子、こちらでのフェローとしての日課などをご紹介させて頂きましたが、ここでは別の視点でご紹介させていただきます。

M6医学部学生の受け入れ

現在UPMCにはアメリカ国内を始めオランダ、オーストリア、タイ、台湾、中国、ブラジル、そして日本から、多くの留学生フェローが在籍しております。立場も様々で、臨床医の経験がある者や理学療法士、医学部新卒の医師、はたまた医学部学生まで。それぞれ数日、数週間、数ヶ月、数年と、メンバーはめまぐるしく入れ替わります。そんな中で2012年4月から6月にかけて3人の医学部6年生の受け入れをお手伝いさせて頂きました。
一人目は日本大学の洞口先生の所から依頼されました小山君。洞口先生は以前UPMCに留学されており、同門の栗山先生がUPMCを訪問された際に丁度留学されていて案内役をなさった先生です。
一週間と短期の滞在でしたが、片道3時間程離れた街で行われる講演に一緒にお供する(Dr.Fuの車で私の運転)などいろいろな事を体験してもらう事ができました。
二人目は筑波大学から十倉君。Fu教授が前年、弘前での臨床スポーツ学会に参加した際に、こちらも以前留学されていた金森先生が直接にDr.Fuに学生受け入れを依頼されたのです。『OK, great!』と言って受け取った手紙を、そのままお供していた私が託されたご縁でお世話させて頂きました。三人目はいよいよ母校昭和大学から渡辺秀君です。稲垣先生から直々にメールを頂き、4週間の日程で研修してもらいました。幸い十倉君と渡辺君はほぼ期間が重複していたため大学キャンパス近くに安い下宿を短期で借りておき、共同生活をしてもらいました。研修内容は、火曜日の手術日(関節鏡手術)と水曜日のアカデミックデイ(様々なミーティングの日)は私と一緒に行動してもらい、私がクリニックで相手を出来ない間は救急整形を見学してもらいました。救急整形に関しては、私も関わりがないためほとんど面識が無い中で半ば強引に学生の見学をお願いしたのですが快諾して頂く事が出来ました。学生達も積極的に研修に取り組み、楽しんでもらえたようでした。

稲垣先生のPittsburgh訪問とSports Meetingでのレクチャー

滞在2年目の1番の出来事は稲垣教授が訪問して下さった事です。稲垣先生は私の留学に発つ際に、『留学して半年くらいかな?生活にも慣れたけれど研究などが軌道にのらず焦る時期が有るだろうから、その頃きっと応援に行くよ!』と優しい言葉をかけてくださっていたのです。時期は滞在一年半目となりましたが、言葉通り2012年9月に整形の後輩石川先生を連れてPittsburghに来てくれました。また、日本での所属先である昭和大学の教授が来る事をDr.Fuに報告すると、是非レクチャーをしてもらおうという粋な計らいを用意してくれ、水曜日朝6:00から一時間の枠で『Sports Injury of the Elbow Joint』と言うタイトルで講演をして頂きました。その晩にはDr.Fuの用意してくれた中華フルコースとワインで、留学中の他大学からの日本人フェローと共に稲垣先生、石川先生を囲んで楽しい晩餐を過ごしました。お二人は翌日からはシカゴで米国手の外科学会、その後にはMayo Clinic訪問も控えているとの事でPitts滞在は約36時間の弾丸ツアーでした。

稲垣先生を紹介するDr.Fu
稲垣先生レクチャー風景。
稲垣先生レクチャー風景。
品川合同カンファレンス(拡大医局会)的な雰囲気。
University of Pittsburghの象徴、
北米一背の高い校舎の前で。
スポーツ診からの陣中見舞い : 大野先生、歌野原先生

また同12月には大野先生と歌野原先生が見学・激励に来てくださいました。土曜夜到着~水曜朝出発の4泊の予定でしたので、街の様子から大学の各研究施設、Dr.Fuの手術見学まで、私の出せる限りの引き出しを使ってご案内させて頂きました。残念だったのは野球(ピッツバーグパイレーツ)のシーズンではなく、ホッケー(同ペンギンズ)はストライキ中、アメフト(スティーラーズ)の試合もその週は無く、スポーツ観戦をして頂けなかった事です。UPMCの雰囲気、私共の留学生活の様子などを肌で感じて頂けたなら何よりと思っております。

ピッツバーグの夜景を一望するレストランにて。左から同門の歌野原先生、妻、息子、小生、大野先生。
こんな素敵な店に行ったのは後にも先にもこれきりです。
研究費用:グラントの獲得

留学中の懸念事項に研究費の問題が有ります(研究には何かとコストがかかるモノです。)フェローの誰か、または指導的な立場に居るFacultyが研究費を持って進めているプロジェクトに参加することで同じ検体を使って実験が出来れば良いのですが、往々にして自分の思い通りに行かないものであります。そこで、渡米一年目に申し込んだのがUPMC整形外科の三代目教授の設立したPittsburgh Foundation という財団の科学研究費でした。スタディーデザインをまとめて抄録の様な形式でその有用性をアピールします。幸いにして半年後、5000ドルのグラントを認められる事ができました。これは大体で新鮮凍結Cadaver Kneeの6膝分と、その検体のMRI撮像費用に匹敵します。残り数ヶ月の滞在ですが、なんとか結果を形にしてゆきたいと思っています。

グラント採用通知が来た日。
ラボのデスクにて。
基金の創始者Prof.Ferguson 名誉教授と。
御年94歳、肺炎からの快気祝いのパーティーに
出席させて頂いた際に撮影。

まだまだ書ききれませんが、私はこの留学で研究や業績以外にも様々なことを学ばせていただきました。重ねてになりますが、稲垣教授はじめ、医局員の皆様に感謝し、今後も昭和大整形の為に精進いたします。