国内・海外留学

教授の推薦を得て留学することが可能です。
これまでも多くの医局員が国内・海外留学し、研鑽を積んできました。

近年の国内留学先

  • 国立病院機構相模原病院(神奈川・リウマチ): [斎藤洋幸 2020 -現在]
  • 済生会横浜市東部病院(神奈川・脊椎): [山村亮 2020 -現在]
  • 新潟手の外科研究所病院(新潟・手の外科): [黒田拓馬 2019 -2020]
  • 和歌山県立医科大学(和歌山・脊椎): [丸山博史 2019]
  • 新潟手の外科研究所病院(新潟・手の外科): [筒井完明 2018-2019]
  • 熊本機能病院(熊本・手の外科): [新妻学 2018 -2019]
  • 三楽病院 (東京・脊椎): [石川紘司 2017 -2018]
  • 和歌山県立医科大学(和歌山・脊椎): [工藤理史 2016]

近年の海外留学先

  • Center for Spine and Orthopedics, Colorado, USA [石川紘司 2019]
  • Mayo Clinic, Minnesota, USA [豊島洋一 2017-2019]
  • Kantonsspital St. Gallen, Switzerland/ St. Elisabeth Hospital, Denmark/ Mayo clinic, USA [久保和俊 2017-2019]
  • Hospital for Special Surgery, New York, USA [白旗敏之 2017-2018]
  • Hospital for Special Surgery, New York, USA [岡野市郎 2017-2018]
  • Kantonsspital St. Gallen, Switzerland/ St. Elisabeth Hospital, Denmark/ Lorenz Bohler Hospital, Austria [川崎恵吉 2012-2013]
  • University of Pittsburgh School of Medicine, Pennsylvania, USA [藤巻良昌 2011-2013]

海外留学報告記

豊島洋一(2001年卒)

Mayo clinic[2017-2019]
Department of Orthopedic Surgery/Tendon & Soft Tissue Biology Lab(Professor. Zhao)

2017年9月から2019年9月にかけて2年間の海外留学をしてきました。
留学先は、医局からこれまでに多く留学している、アメリカ合衆国ミネソタ州にありますMayo clinicの Department of Orthopedic Surgery/Tendon & Soft Tissue Biology Lab(Professor. Zhao)でした。Mayo clinicは、医療関係者の方ならば知らない人はいない全米病院ランキングNo.1の病院です。
アメリカの栄えている場所といいますと東海岸や西海岸をイメージしますが、mayo clinicのあるMinnesota州Rochesterはアメリカの中西部(真ん中あたり)の北(五大湖の一番左端あたり)にあります。一番近い大都市はシカゴで、2019年には、摂氏-32度を記録したとてもとても寒い地域です。病院がある街の人口は11.6万人、住人の4人に一人が病院関係者です。そのため経済的に安定している人が多いためか、街は美しく安全で、居住地域で危険を感じることはありませんでした。

研究留学では、多くのことを学びました。私の研究は触診で感じる圧を超音波の新しい技術を使って、数値化することでした。実際には手根管圧やコンパートメント圧を評価しました。
この研究室は、以前はCadaverを使用したバイオメカニクス研究のメッカでしたが、研究資金獲得の困難さから、今はMolecular biology(分子生物学)に研究の主をシフトしています。

アメリカの寛大な心と美しい国土を感じることができたことは、私の今後の人生にとって大きな財産となりました。また、あわただしく過ぎる日常診療を離れ、一つのことに没頭する研究生活を送り深く深く思考を掘り下げることができたことは、今後の診療に幅を持つことができると感じます。
日本では多忙な毎日を送っており、家庭でゆっくり過ごす時間が少なかったため、留学中に家族と共に多くの体験を共有できたことは非常に有益でした。人生の豊かさを学ぶことができました。

白旗敏之(1996年卒)

Hospital for Special Surgery(HSS)[2017-2018]

2017年4月から2018年3月まで、アメリカ合衆国、ニューヨーク州にあるHospital for Special Surgery(HSS)へ留学する機会をいただきました。本病院はニューヨークのマンハッタンの中央で、East sideに位置し、建物(本館)はEast river沿いに建てられております。西に向かえば徒歩20分ほどでCentral Parkがあります。隣接するWeill Cornel大学とその附属病院(写真向かって左の建物)の関連施設にもなっています。整形外科(腫瘍以外)と関節リウマチを専門とする病院であり、手術の多くを占めるのは人工関節手術です。全世界から患者が来院し、全体で年間30000件以上(内、脊椎は4000件以上)もの手術が行われている病院です。本病院には脊椎外科attending Dr.が16名在籍しており(あのFrank Schwab先生も在籍)、HSS内に各医師がprivate clinicを持ちHSSで手術を行っています。

East riverに浮くRoosevelt Islandから撮影

今回、豊根知明教授より同病院のFederico Girardi先生をご紹介いただき、先生のresearch fellowとして受け入れてもらいました。今回の留学は、側方侵入腰椎椎体間固定術と成人脊柱変形に対する矯正手術をメインとし、脊椎手術の勉強と習得を目的としました。

手術見学

自分は、Girardi先生とAndrew Sama先生(2016年10月に昭和大を訪問)の手術にはScrub in(手洗い)が許可され手術に入らせてもらいました。手術は基本水曜日以外月曜日から金曜日まで、朝から夜まで行われております。手術は、単純なヘルニア摘出術や椎弓切除術から広範囲な脊柱固定、骨切り術、LIFの前後同時手術と多岐にわたります。先生からは患者へのdirect touchはできないと言われていました。初めは日本で言う医学部学生の手術見学と同じ状態であり、手洗いするも手は全く動かさずただじっとみているだけでした。その後、いつのまにか筋鉤引きしたり、吸引を手伝ったり、展開や閉創の手伝いなども暗黙の了解で行えるようになりました。
LIF手術では、1皮切での直視下アプローチで行っていることに衝撃を受けました。日本では2013年から導入され、まだ原法通り2皮切手術が主流であったためです。しかし、その手技はどんな症例でも同じ手技で安定しており、しかも直視下に展開しているため安全に行えておりました。現在自分は、教わったこの方法でLIFを行っています。
インストゥルメンテーション手術では、流石!!と言うほど手技が洗練されており、透視下にスクリューを挿入する事など一切ありません。勿論、C2pedicle screwやIliac screwも、びっくりしました。Rodのベンディングやカンチレバーテクニックなど、全く迷いなく手術が行われており、大変勉強になりました。

器械台です。麻酔科との間には
透明なシートをかけ仕切っています。
手洗い場です。
日本の方が使いやすい
執刀前
開始後助手の立ち位置交代
術後の最終XPチェック、
放射線シールドの後方に皆で退避
Physcian Assistant と
最後閉創しています。
リサーチ

仕事開始して、3ヶ月してからリサーチの仕事を与えもらえ、Girardi先生のリサーチチームに所属が許可されました。過去10年間に施行した約1600例のLIF患者を対象とするリサーチプロジェクトに参加しました。電子カルテシステムと画像システムを駆使して、X線データから術前後の神経学的所見を拾い上げデータベース作成をしました。そのデータをもとに、LIFの安全性を検討する研究を行いました。また、そのデータベースからいくつか枝分かれさせて、数件の研究がその後留学に来たresearch fellowの研究として行われました。自分はそのデータを持ち帰ることが許可され、帰国後国内・外の学会で発表を行い、論文の投稿まで行いました。留学するまでは、リサーチとはかけ離れた生活を送っていたため、大変勉強になりました。実は後から知ったのですが、初めの半年間はHSSの正式なfellowではなく、あくまでもGirardi先生のclinicに所属するfellowであり、データベース作成への貢献など含め、先生やチームリーダーが推薦状を書いてくれたおかげで10月から正式な病院のfellowになっていたようです。

今回の留学では、多くの事を得て帰ってくることができたと思っております。そして何よりも、人の大切さやありがたさを本当に身にしみて痛感してきました。異国の地から見ず知らずの、しかも英語の全くできない自分を、自分の家族の様に迎え入れ、そして仲間に入れてくれたGirardi先生やHSSのスタッフには感謝の気持ちしかありません。一つのチームとしてそれぞれの役割をプロ意識をしっかり持って仕事をしている姿をみて、またその中で仕事をして、今までの自分に何がかけていたかがよくわかりました。なかなか文章にして伝えることが難しくできませんが、医師としての前に人として何が重要なのかを知ることができた感じがします。大変貴重な経験をさせてもらえた1年間の留学でした。今後も世界のHSSと昭和大学の関係が末永く続いて行くよう祈るとともに、自分も努力していきたいと思っております。

G先生主催のJapanese styleのカラオケBoxでのFarewell

川崎恵吉(1991年卒)

Kantonsspital St. Gallen, Switzerland/ St. Elisabeth Hospital, Denmark/ Lorenz Bohler Hospital, Austria [2012-2013]

私は、IBRA財団の支援もあり、一年間のヨーロッパ留学に行ってまいりました。
平成24年4月20日、沖縄で行われた日本手外科学会から帰国した翌日に、スイスのチューリッヒに向かいました。ドイツ語は学生時代に少し習っただけ、英語も留学前のたった3週間のニュージーランド留学しかしていない私にとっては、不安だらけでヨーロッパの地に足を踏み入れました。さらになんと、家に大事な大事なノートパソコンを忘れてくるという、致命的な失態まで起こしてしまいした(これは家族が突然の訪問で、助かりました)。
まず最初、スイスのサンクトガレンにある州立サンクトガレン病院のGruenert教授の下で研修を始めました。小さな町です(スイスで確か5番目)が、病院は全科で1000床ある総合病院で、ヘリポートも有していました。教授は、手外科・形成外科・再建外科のトップであり、手関節以遠の外傷の全ての他、小児の手奇形、神経手術、各種皮弁や腫瘍切除、美容外科の手術まで行っていました。准教授クラスの先生が二人(形成出身と整形出身各一人)、中間層と若手医師、研修中の先生の計8人が一緒に治療を行っていました。毎朝7時半から症例検討会から始まりますが、8時の手術や外来に始まる前に必ず全員で、喫茶室でコーヒーや紅茶を飲みながら歓談します。その他午前10時、午後3時にもお茶の時間があり、ヨーロッパ人は時間に余裕を持って生活していました。毎朝教授は、更に早く出勤し、新しい文献全てに目を通し、時に画像を取り込んで、ものすごい量のデータを蓄積していました。そして、全員にその文献を送ってきてくれました。手術は毎日朝から2列組まれ、乳癌術後再建や下腿の皮弁、橈骨や手指の骨折、母指CM関節症、デュプイトレンなど、様々な手術を見学させてもらい、手洗いもしました。時間のある時には、実験室でマイクロの練習をしたり、英語論文の作成をしていました。バーセルにあるMedartis社工場にも通い、冬に始まる力学的実験の準備も始めていました。

Prof. Gruenertと病院Cafeで
Prof.KrimmerとClinicで

10月には、そこからボーデン湖を挟んでドイツ側のラーベンスブルグ、というもっと小さな町にある、St.Elisabeth病院に移りました。ここのハンドのトップであるKrimmer教授は、舟状骨や橈骨の外傷ではKrimmer評価法があったり、手関節鏡を古くからやられている、御高名な先生でした。少し大きな病院の横に外来棟があり、普段はその中でプライベートクリニックを開設し、外来と2個の小手術室で数多くの日帰り手術(ばね指、手根管、母指CM関節症、デュプイトレン)をこなし、週2-3日は大病院の方の手術室で全身麻酔手術を行っています。ここでは、教授以下の5人の医師が外傷外科(ドイツ語圏では、整形外科とは別に外傷外科がある)や一般外科で数年間働いてから、手外科医になる予定で3年間の修行に来ていました。手外科の経験年数は浅いものの、ほとんどの手術を一人でこなさなければならず(CM関節症やデュプイトレン、外反母趾など)、すぐに実力がつくようです。夜も一人で緊急手術をこなさなければならず、再接着が来た時は一緒に入って、お手伝いしました(実力は・・・)。ここでは手関節鏡の勉強を主にしながら、私の日本での発表を英語に変えて発表する機会を何回も企画して頂き、英語のスライド作りにも励みました。
12月からは、オーストリアのウィーンにある、外傷で有名はLorenz-Boehler病院での研修になりました。あのベーラー角やベーラーギプスで有名でしょう。ここは外傷外科の専門病院(日本でいう労災病院のような感じ)で、手外科もほとんどが外傷でした。外傷外科医が40名近くもおり(整形外科医ではない)、ハンドのtwo topである、Leixnering(ライクスナーリングと読む)先生とPezzei先生について回りました。行ってすぐに、Wien hand and wrist courseと言うcadaverセミナーが病院内で開催され、一緒に参加させて頂きました。3月には1週間も続くセミナーがあり、再度参加させて頂きました。ここは、やはり外傷数が半端でなく、Wienの全ての事故が運ばれてくるような感じで、橈骨遠位端や舟状骨骨折の量はとてつもなく、データ取りに明け暮れました。ドイツ語のカルテがほとんど読めないものですから、レントゲン等の画像を中心に、舟状骨偽関節100例の形態計測を行ったほか、橈骨遠位端骨折に対する掌側プレート術後の掌側亜脱臼症例の検討を行いました。ここで面白かったのは、舟状骨偽関節例に、掌側ロッキングプレート(Medartis社)を使用したり、2本のHerbert type screwを挿入したり、日本では尿管結石等で使われる超音波破砕機を偽関節例に使用して骨癒合の促進や改善を見ました。
翌年2月から、スイスのバーゼルに移動し、Medartis社の工場で、会社の実験チームや開発チームと一緒に、力学的試験(肘頭骨折に対するAPTUS ダブルプレートと他のMLP、橈骨遠位端骨折に対するMLP対PLPの掌側ロッキングプレートの比較)を行い、それと並行して新しいrim plate(薄くて、Polyaxialで、アナトミカルで)の開発を行っていました。肘頭骨折では、有意差を認める結果が得られ、来年の発表を計画しています。
各病院のトップでいらっしゃる教授や先生方は、本当に優しく私に接してくれて、それぞれのご自宅まで訪問させて頂きました。その下の先生方やパラメディカルなスタッフ、Medartis社のスタッフの方々も、本当に仲良くしてくれて、毎回移動の度に、お別れするのが辛いくらい、本当に感謝感謝でした。土日や祭日には、スイスの山々、観光旅行の他、オペラ座等での文化交流なども体験してきました。言葉の壁は大きかったのですが、得るものが多く、人間として大きくなった一年でした。

Lorenz Boehlerの手外科team
スイスのルチェルン湖にて
BaselのMedartis staffとお別れ会

稲垣教授、中村教授を含め、医局長そして医局の先生方の支えと協力により、無事に戻ってくることが出来、本当に感謝しております。これからもよろしくお願いいたします。

藤巻良昌(1996年卒)

University of Pittsburgh Medical Center / Sports Medicine [2011-2013]

2011年4月より、米国ペンシルバニア州ピッツバーグにあります、University of Pittsburgh Medical Center (UPMC) のDr.Freddie H Fuの元に留学させて頂ました。このような貴重な留学の機会を与えて下さいました、昭和大学および整形外科医局の皆様、稲垣教授に深く感謝申し上げます。同門会誌にてUPMCに留学が決まった経緯、ピッツバーグの街と研究室の様子、こちらでのフェローとしての日課などをご紹介させて頂きましたが、ここでは別の視点でご紹介させていただきます。

M6医学部学生の受け入れ

現在UPMCにはアメリカ国内を始めオランダ、オーストリア、タイ、台湾、中国、ブラジル、そして日本から、多くの留学生フェローが在籍しております。立場も様々で、臨床医の経験がある者や理学療法士、医学部新卒の医師、はたまた医学部学生まで。それぞれ数日、数週間、数ヶ月、数年と、メンバーはめまぐるしく入れ替わります。そんな中で2012年4月から6月にかけて3人の医学部6年生の受け入れをお手伝いさせて頂きました。
一人目は日本大学の洞口先生の所から依頼されました小山君。洞口先生は以前UPMCに留学されており、同門の栗山先生がUPMCを訪問された際に丁度留学されていて案内役をなさった先生です。
一週間と短期の滞在でしたが、片道3時間程離れた街で行われる講演に一緒にお供する(Dr.Fuの車で私の運転)などいろいろな事を体験してもらう事ができました。
二人目は筑波大学から十倉君。Fu教授が前年、弘前での臨床スポーツ学会に参加した際に、こちらも以前留学されていた金森先生が直接にDr.Fuに学生受け入れを依頼されたのです。『OK, great!』と言って受け取った手紙を、そのままお供していた私が託されたご縁でお世話させて頂きました。三人目はいよいよ母校昭和大学から渡辺秀君です。稲垣先生から直々にメールを頂き、4週間の日程で研修してもらいました。幸い十倉君と渡辺君はほぼ期間が重複していたため大学キャンパス近くに安い下宿を短期で借りておき、共同生活をしてもらいました。研修内容は、火曜日の手術日(関節鏡手術)と水曜日のアカデミックデイ(様々なミーティングの日)は私と一緒に行動してもらい、私がクリニックで相手を出来ない間は救急整形を見学してもらいました。救急整形に関しては、私も関わりがないためほとんど面識が無い中で半ば強引に学生の見学をお願いしたのですが快諾して頂く事が出来ました。学生達も積極的に研修に取り組み、楽しんでもらえたようでした。

稲垣先生のPittsburgh訪問とSports Meetingでのレクチャー

滞在2年目の1番の出来事は稲垣教授が訪問して下さった事です。稲垣先生は私の留学に発つ際に、『留学して半年くらいかな?生活にも慣れたけれど研究などが軌道にのらず焦る時期が有るだろうから、その頃きっと応援に行くよ!』と優しい言葉をかけてくださっていたのです。時期は滞在一年半目となりましたが、言葉通り2012年9月に整形の後輩石川先生を連れてPittsburghに来てくれました。また、日本での所属先である昭和大学の教授が来る事をDr.Fuに報告すると、是非レクチャーをしてもらおうという粋な計らいを用意してくれ、水曜日朝6:00から一時間の枠で『Sports Injury of the Elbow Joint』と言うタイトルで講演をして頂きました。その晩にはDr.Fuの用意してくれた中華フルコースとワインで、留学中の他大学からの日本人フェローと共に稲垣先生、石川先生を囲んで楽しい晩餐を過ごしました。お二人は翌日からはシカゴで米国手の外科学会、その後にはMayo Clinic訪問も控えているとの事でPitts滞在は約36時間の弾丸ツアーでした。

稲垣先生を紹介するDr.Fu
稲垣先生レクチャー風景。
稲垣先生レクチャー風景。
品川合同カンファレンス(拡大医局会)的な雰囲気。
University of Pittsburghの象徴、
北米一背の高い校舎の前で。
スポーツ診からの陣中見舞い : 大野先生、歌野原先生

また同12月には大野先生と歌野原先生が見学・激励に来てくださいました。土曜夜到着~水曜朝出発の4泊の予定でしたので、街の様子から大学の各研究施設、Dr.Fuの手術見学まで、私の出せる限りの引き出しを使ってご案内させて頂きました。残念だったのは野球(ピッツバーグパイレーツ)のシーズンではなく、ホッケー(同ペンギンズ)はストライキ中、アメフト(スティーラーズ)の試合もその週は無く、スポーツ観戦をして頂けなかった事です。UPMCの雰囲気、私共の留学生活の様子などを肌で感じて頂けたなら何よりと思っております。

ピッツバーグの夜景を一望するレストランにて。左から同門の歌野原先生、妻、息子、小生、大野先生。
こんな素敵な店に行ったのは後にも先にもこれきりです。
研究費用:グラントの獲得

留学中の懸念事項に研究費の問題が有ります(研究には何かとコストがかかるモノです。)フェローの誰か、または指導的な立場に居るFacultyが研究費を持って進めているプロジェクトに参加することで同じ検体を使って実験が出来れば良いのですが、往々にして自分の思い通りに行かないものであります。そこで、渡米一年目に申し込んだのがUPMC整形外科の三代目教授の設立したPittsburgh Foundation という財団の科学研究費でした。スタディーデザインをまとめて抄録の様な形式でその有用性をアピールします。幸いにして半年後、5000ドルのグラントを認められる事ができました。これは大体で新鮮凍結Cadaver Kneeの6膝分と、その検体のMRI撮像費用に匹敵します。残り数ヶ月の滞在ですが、なんとか結果を形にしてゆきたいと思っています。

グラント採用通知が来た日。
ラボのデスクにて。
基金の創始者Prof.Ferguson 名誉教授と。
御年94歳、肺炎からの快気祝いのパーティーに
出席させて頂いた際に撮影。

まだまだ書ききれませんが、私はこの留学で研究や業績以外にも様々なことを学ばせていただきました。重ねてになりますが、稲垣教授はじめ、医局員の皆様に感謝し、今後も昭和大整形の為に精進いたします。